「空中庭園」

空中庭園 通常版 [DVD]

空中庭園 通常版 [DVD]

ずっと気になっていて、でも観るのが怖くてどうしても手が出せなかった映画。
豊田監督の映画は、最初から終わりに向かっている。終わりに向かうために作られている。「ポルノスター」から、「ナインソウルズ」までずっとそうだった。
冒頭、娘の「私ってどこで仕込まれたの?」という質問から始まる会話。「秘密を作らないのが家族のルール」だと、それに答える母親(主人公)。そこから団地が一回転するタイトルシーンまでで、十分に不安を煽られる。彼らの終わりは、どのようなものなのか、既にそんなことを考えてしまう。
秘密を持たないというルールを持った明るい家族は、本当は誰もが秘密だらけ。父親は浮気、娘は学校をサボってラブホテル、息子も学校をサボってPCで自分の住む街を作っている。そして母親は、自分の暗かった子供時代を隠していた。秘密を持たないなんて無理だと誰もが気づいていて、それでも秘密のない家族を演じている。それに対し第三者からの「学芸会だわ」という言葉に、「学芸会でいいじゃない」と返す母親。その後、それぞれの秘密が明らかになるが、誰もが実は薄々感づいていた。ただ一人、母親の嘘以外は。「ばれない嘘は嘘じゃない」という言葉通り、彼女はずっと完璧な嘘をつき通していた。それが発露したとき、この家族は終わると思った。でも違った。
偶然同じバスに乗り合わせた父と娘と息子。手に持った紙袋について父親に尋ねられて、答えない娘。息子も、帰宅が遅くなった理由を話さない。全員がバラバラの席に座って無言、でもこのシーン、不思議なくらいあたたかい。リビングでの和気藹々とした会話シーンよりも遥かに家族がいる。ただ一人帰宅を待つ母親の元には、彼女の母親からの電話がある。母親は、自分の母親に尋ねる。「私ってどこで仕込まれたの?」と。「本当に大事なことは、墓場まで持って行くもんよ」が答え。
「秘密を作らない」というルールで家族を守るはずが、それが家族を壊していたことに気づく主人公に、血の雨が降る。真っ赤な、真っ赤な雨。このシーンの後、家族が帰ってきてチャイムを押したとき、主人公がベランダから出てくるまでに時間がかかる。だから一瞬、やはり豊田監督は死という終わり方を選択したのだろうかと不安になった。でも主人公はずぶ濡れでベランダから姿を現し、家族を迎え入れる。「おかえり」と。この作品で豊田監督は再生を描いたのだ。(その要素はずっと作中に提示されていたのだけど、裏切られそうで敢えて見ないふりをした)
秘密を作らないのは家族を守るための手段でしか本当はなかったのだ。家族を守るためにときには嘘をつく。「愛がなきゃやってられない」という父親の言葉を借りるなら、愛があれば嘘だって秘密だっていいとさえ、言える。
家族の物語としては再生の物語だったけれど、実はこの街自体が終わりに向かっていたりする。年老いたニュータウン、開発の中止。やがて見捨てられていくであろう街。そこにはやはりいずれ終わる家族があるのかもしれない。それでもやっぱり、「ただいま」で帰ってくることを願う。
暴力が前作までより内面へと向かいながら、その痛さは健在。むしろ内に孕んだ狂気という意味ではこれまでを遥かに凌いでいる。冒頭から最後まで流れ続ける空虚さ。でもそれだけじゃない、ファンタジーに近いあたたかさも描ける豊田監督が立ち直ってくれることを切に願う。