重松清,河野 利彦「走って、負けて、愛されて。―ハルウララ物語」

走って、負けて、愛されて。―ハルウララ物語

走って、負けて、愛されて。―ハルウララ物語

動物関連のブームが苦手です。絶対に何を考えているかわかるはずのない相手に、人間が勝手に意味づけして騒いでる光景が、なんとなく怖くて。
このハルウララブームも、「負け続ける馬」「負け続けても走る馬」というのにはなんとなく惹かれるけど、考えてみると馬は別に好きとか嫌いとかではなく本能で走っているだけなのでは?走らなきゃいけないから走ってるだけなのでは?というのがずっと疑問でした。個々で見ている人間が、それに意味づけをして励まされることは悪いことじゃないと思うけど、マスコミで煽って、みんながみんなそういう風に見ているのが不思議で仕方ならなかった。
そして、なぜ負け続ける馬がこんなにも賞賛されるのか。いやそれ自体はいいんだけど、同じような馬もいるよなあ、もっと可哀想なことに負け続ける間もなく死んだ馬だっているし、中途半端に勝っている馬なんてどうなるんだろう。っていうのもあって、ニュースを聞いてもなんかモヤモヤしていたのを覚えている。
で、この本。ブームの頃に見かけて、正直「便乗商法みたいでやだな」と思った。ブームの去った今になって読んでみると、少なくとも私の抱えた疑問の後者に対しては書かれているし、重松清の筆力でそれほどいやな感じは受けませんでした。「負け続け」なんて考えてみたら筆者が好きそうな題材だし。でも『エイジ』で「被害者」にも「加害者」にもなれない少年を描いた筆者には、どうせなら「負け続ける」わけでも「勝ち続ける」わけでもなく、中途半端な戦績の馬に目を向けて欲しかったかもしれない。