「天空のエスカフローネ」

天空のエスカフローネ Vision 6 [DVD]

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祈りや想いでは世界は救われない。そういうことをわかる年齢になると、ストーリー上であれだけ多くの人間を犠牲にしながらそれでも「想いは届く」なんて言われても首を捻ってしまう。そこを消化できるほどには多分私が大人になってないせいかもしれない。
何より自分の想いを信じることは、一歩間違えればただの価値観の押し付けになってしまう。ひとみの考え方は非常に健全で社会的・道徳的に正しい。だからこそ、重すぎるのだ。正しいとわかっていても拒否したくなるものはある。他者に被害を与えなければ、そういうものは有りなのだ。だから彼女がフォルケンの部下の獣人姉妹を説得するくだりなどは少々辟易してしまった。そういう愛し方も有りだろうと思ってしまうから。

元々中田さんの声が聞きたくて観始めたので、フォルケンに非常に思い入れて見ていた。キャラクターとしても魅力的だった。勿論彼の行動をすべて肯定することはできないし、もう少し深く掘り下げて欲しい部分もあったけれど。
憎しみの心が争いを呼ぶと知っていたにもかかわらず、最終的には彼もドルンカークに対する憎しみに溺れてしまう。残りの話数から考えてもあの時点でああいった決着を、誰より彼がつけなければならなかったのは当然の流れ。残念な気もするけれど、死を間近に感じていたことで、自分にこの先できることは限られていると感じたための行動なのだろうと。
彼がドルンカークを殺したことが、直接的には何の影響もなかったことが凄い皮肉。結局のところ争いの火種は人の心の中にある。わかっていたのに、それでも殺したのは耐え切れなかった部分もあるのかもしれない。犯した罪の大きさに。奪ってきた命の重さに。ドルンカークを盲信していたときには見えていなかったそれらが、彼に不信を抱き始めた辺りから圧し掛かっていたんじゃないだろうかとは思う。バァンに比べると、フォルケンの優しさの描き方は中途半端になってしまっていたので勝手に補足するしかないんですが。それでもやはり優しい人だったのだと思う。そして半面でとても弱い人。それは結局(そもそも知らぬ間に拉致されていたというかたちとはいえ)ドルンカークを盲信してしまったことにある。
そしてなにより、これは多分この物語全体で感じてしまったのだけど、「人を憎まない」というのは無理な話だと思ってしまう。大なり小なり存在するその気持ちを、受け入れることをしなきゃいけない。憎しみそのものを絶つことはできない。フォルケンでさえそれに溺れた。
だからフォルケンの平和に対する理想論て言うのは、本当に「理想論」で現実味はない。それを科学の力で現実にしようとしてたけれど、結局は無理だったわけだし。

と、ここまでうだうだと纏まりのないことを書いてきて気付いたのだけど、つまり私はこの話の「運命改変装置」だとか「絶対幸運圏」だとかがよくわからなかったわけです。運命がどうのって結局のところこの話における定義ってなんだったんだろう。1度観ただけじゃ理解できなかったってことかな。機会があればもう1度観直したいです。
小学生か中学生の頃に観ていたら、もっと違った見方だったのかな。


追記
25話「絶対幸運圏」を見直してみると、フォルケンがドルンカークに対し怒りを爆発させるのは、実は「ワシの思い通り」と言われた時点で、なんですね。それまででも怒りはあったんだろうけど、あくまでも穏やかに「自分自身で決着をつける」という感じ。
このドルンカークとフォルケンの関係、掘り下げると個人的には面白かったんだろうと思います。