「ゲゲゲの鬼太郎」

人間の描き方の甘さが気になる。ステレオタイプなキャラクターやストーリーは、それに需要があるからステレオタイプになるという面があるから構わない。しかしステレオタイプだからこそきちんと描きこまなければすっきりしない感じが残ってしまうのだ。こうなるだろうと見ている側が予想して、概ねはその通りだが細部にまで行き届かずに終わってしまう。そういう映画だった。
例えば最終的に諍いを収めた天狐が「自分たちが引く代わりに、全国の稲荷神社に油揚げを供えてください」と言った。それならば絶対にあの姉弟と父親が元々の発端となった神社に供えるシーンが必要だ。あるいは“いつの間にか”立ち消えになっている開発計画も気になる。いかにも傲慢な社長を登場させておきながら、それだけなのだ。彼が何か横暴を行って報いを受ける、といった流れがなければ出てきた意味がない。
たくさんのおばけを登場さることと、チンケな感動話ばかりに気を取られて、全体としての構成がガタガタ。そんな印象の映画だった。
鬼太郎についてはアニメを何度か見たことがある程度、原作は未読なのでさして相違点については気にならないと思ったが、一反木綿だけはやはり八奈見乗児さんがいい。